大学教員時代の忙しい日々①

2月19日 何度目かの卒業判定会議

卒業と入試のこの季節。我々、大学の教員は一番忙しい季節だ。

教務からある学生の単位が足りないという報告があった。卒業制作で賞を受賞したほどの優秀な学生だから単位不足などあるわけないと安心していたのに。これは完全に本人のポカだ。レポート提出など、何らかの処置で卒業させるか、それとも卒業を延期するか…。

実はボクも学生時代、個展に出品した作品を要領良く卒業制作として提出したものの、1日提出期限を間違ったことから除籍になりかかった経験がある。ケースは違うけど、状況は同じ。あのとき先生方に救ってもらえなかったら、いったい今のボクはどうだったのか?除籍になっていたら、今とは別の人生があったろう。ひょっとすると今以上に精神力の強い人間になったかもしれない。これは結果でしかないけど。

彼女はいい子だし、ボクは個人的にはぜひ救ってやりたいと思っている。けれど、仮に卒業延期になったとしても、彼女にとってどちらがいいことになるか、とても言えない。

彼女の件とは関係ないが、単位を落としそうになったら教授に一升瓶を持っていくような、我々のころの要領の良さは、今、逆の立場になって思えば人間的でかわいい。

最近の学生の、そんなコミュニケーションなしの要領の良さ、ずる賢さは鼻持ちならない。授業の出席日数にしても、それをちゃんと計算している。あと何日休んだらやばいですかなどと平気で聞いてくる。そのときは「あと1日も休まなくてもヤバいときもあるよ」と答えてやる。何でも基準ぎりぎり。課題の作品にしてもそう。こっちを明らかに読んでいる。誠意という言葉からは2キロくらい離れている。そのくせ作品の点数を気にする。どこが良くてどこがまずいのかじゃなくて、裏のABC評価ばかりを気にする。

芸術なんてもっともフレックスな分野なはずなのに、こんなところまでデジタル化している気がする。美大でさえそうなんだから一般大学では推して知るべしだ。

(1988年 旺文社「月刊私大蛍雪1月号」掲載記事)