大学教員時代の忙しい日々②
モチーフを組んで受験生にデッサンをさせる。
それにしても以前は特徴的な子がいたのに最近は…。まったく監督のしがいがない。11月の推薦入試の際にも同じだった。純粋な、ピュアな緊張感を感じない。
面接でのこと。尊敬する人をたずねる。受験生「親」(もしくは「担任の先生」)。両親や先生を尊敬することは悪いことではないが、こういうときに答える内容とは思えない。
古今東西、もっと大きなところで言ってみな。
受験生「…」
出てこない。
じゃあ、好きなアーティストは?
受験生「予備校(美術系)の先生」
身近な人の名前しか返ってこない。ここは美大だぜ。
最近は、高校で面接のリハーサルまでやるという。入試もいよいよマニュアル化されているのか。個性的なところをみたいのに学生からの答はみんな似通っている。これだけ情報量の多い時代にあって、結局彼らは何もキャッチしてない。彼らの勘違いした演技なのかもしれないが、受験というスタートのときから受験生の本心が十分に見えない。これが現実なのか。
今日も会議で相当くたびれて大学から帰ってきて、カバンを開けたらシステム手帳を忘れたことに気づく。あれがなければ電話一本かけることもできない。一気に真っ白。大学までは車で1時間半から2時間くらいかかる。大学の助手にバイク便で送ってもらうか。いや、1日使えないだけだから明日まで我慢するか。悩んだ末、とにかく取りに帰るのが一番潔いかなと思い車を発進させたものの、自分のふがいなさと腹立たしさで、どうしようもない気分。
30分くらいたったろうか。カーラジオからジャズが流れていることに気づいた頃、「これでいいんだ」と納得すると妙にハイになっている自分に気づいた。大学まで往復で3〜4時間。ものすごく無駄な時間。けれども無駄ってなんだろう?この無駄な時間が今は心地よくさえ感じられる。
この2か月、ひどく忙しかった。思いも寄らない形でこの最悪の時間を切り抜けることができた。
「好善社」という舞踏集団に招待を受けた。
デザイナー、コピーライター、映画人、ミュージシャンなど、各界で活躍する100名のクリエーターに舞台を観てもらい、絵でも音でも映像でもコピーでも何でも、舞踏から感じるものを表現してほしいという依頼だった。それらの100人の作品を集め、最終的に彼らがCD-ROMを制作するという。
ともすれば暗くドロドロした、閉鎖的なイメージを持たれる舞踏の世界。もっともアナログなはずの舞踏集団がデジタルメディア、CD-ROMを制作。アナログかデジタルかなんてことは作品のクオリティーや本質とはまったく関係ない。ここがわかってないといけない。
世間の舞踏への偏見を前向きに取り除こうとする彼らには、たいへん好感が持てる。舞踏を舞踏だけのフィルターで表現しない彼らの姿勢は実に明確であり、魅力を感じた。
ボクは数枚のデッサンを彼らに送った。きっと素晴らしい作品ができることだろう。
会場は超一流ホテルのメインのホール。けれども、正しくは「謝恩会」と称した料理争奪バトル。
そんなに優雅に着飾ってるんだから、もう少し優雅に食えよな。
これ以上のコメントはあえて避けておこう。
(1988年 旺文社「月刊私大蛍雪2月号」掲載記事)