大学教員時代の忙しい日々⑥ 愛車が当て逃げされる。怒!
6月15日

まず愛車の話をしよう。バブル経済真っ盛りの91年に限定生産された日産フィガロ。車体のデザインはもちろんだが、シャーシと駆動関係以外、シート、ステアリング、メーター類など一切がデザインされている。ほとんどが既存の車の流用で作られる日本車の中ではたいへん珍しいが、バブルだから作れたとも言える。聞くところによると一台売るごとに赤字だったらしい。その内装のデザインを手がけたのはボクの教え子だった。それもあって15年前、どうしても欲しくて、倍率50倍の抽選に応募して見事落選。教え子に電話で、はずれたことを話したところ、何とかしてくれて手に入れた。

ところで、今まで大学に20年間いて、これまで一万人以上の教え子が社会に出ていろんなところで活躍している。その恩恵たるや絶大で、デザイン事務所の教え子からは仕事の依頼、テレビ、ラジオ関係から出演依頼、編集関係からは執筆の依頼、ギャラリーから個展の企画…、という具合に、社会人になった彼女たちが対等な立場で、ボクを信頼して声をかけてくれる。これほど掛け替えのないものはない。いい意味でのコネを人生の中で体験することがどれだけ幸せか。この幸せ感からすれば金はいらない。これが最高の財産だ。

そんな車だからとても大事にしていた。月2回のワックスは欠かしたことがなかった。さてワックスをかけようと車を見たところ、左のドアがへこんでいる。ボクのアトリエは、車2台がすれ違えないほど細い道の角地にある。このきわどい立地条件の敷地内駐車スペースに置いてあった愛車は、見事に当て逃げされてしまった。

修理代がかかることが悲しかったのじゃなくて、大切にしていた愛車が傷ついたことが情けなかった。地下駐車場を作ろうかと真剣に考えた。

(1988年 旺文社「月刊私大蛍雪5月号」掲載記事)