毎日がリゾート

228月 - による mijomijo - 0 - ART WORKS ESSAY 木版裏彩色

 

「CAMINO」…和紙に木版・アクリル絵具による裏彩色 297mm x 210mm(2009)

近頃、妙な余暇の過ごし方を見る。たとえば、みんなとにかく外へ出かける。そして、みんなが向かう方向は、ある程度決まっている。RVもアウトドアもスキーもコンサートも、みんな同じところに向かう。

今の子たちには「やっとかなきゃ現象」というのがあって、とりあえずのところはきっちりおさえている感じはする。でも、なぜ通勤通学と同じように混んだところへ行くのだろう?それに疑問を感じないのだろうか?

余暇を過ごすために面倒なことがあるのでは意味がない。別荘を持っていたとしても、そこに行くまでが渋滞の高速道路ではしょうがないだろう。ボクが湘南に引っ越した大きな理由はそこにあるわけ。

パッケージツアーのことは言うに及ばず、海外旅行で大きなスーツケースを持って空港に向かう姿。あれって、すごくカッコ悪い。手ぶらで出かけて、空港で行く先を決めて、必需品は現地で調達するようなカッコイイ旅ができないものか。

ラテンアメリカにいたとき、この国には「暇」という言葉はないのではないかと思った。それほど毎日暇なのだ。実は暇は、忙殺された人間ほど持つ。だから暇という言葉をいちばん使うのは日本人じゃないか。暇は暇のままで流れていってしまうのだ。

多くの人は自分のそんな余暇の過ごし方を「趣味」と称しているようだけど、趣味は、他人とちがうことをやってこそ趣味。なのに全員「カラオケです」。それってほんとにオマエの趣味かぁ?

そもそもみんな、自分の審美眼を信じていない。ブランド物というだけで飛びつくのがいい例だ。結局ここでもカタログ文化だ。他の評価を突き合わせていたんじゃ趣味として全然おもしろくない。「誰が何と言おうが」であるべきだ。

笑っちゃうのは学生たちに自己紹介をさせると未だに「趣味は〜です」なんて、聞いてもいないのに言っていること。それもほとんどありきたりなもので、昭和の時代から続いたキーワードを未だに引きずっている。

「趣味」と「好奇心」は同義語だと思っている。好奇心を持ちにくい(好奇心不在か?)この時代、他人に趣味を聞くことはナンセンスだ。

「NO PUEDO」…和紙に木版・アクリル絵具による裏彩色 297mm x 210mm(2008)

趣味はラジカルであってほしい、悪趣味であってほしい。基本的には趣味は、オタッキーで、カルトな部分でなければいけない。他人にとってはどうでもいいことに相当なエネルギーをつぎ込むことが趣味だ。かなり無理をして、痛いくらい手を使って作業をすることだと思う。

それが最近は、若い人たちに限らずその意識が希薄になっている気がする。簡単に言うと、手を伸ばして何かを書き込む以前に、その作業をやめてしまっている。手を伸ばしていない。それって創造力が麻痺してるわけで、趣味とも言えないし今後深い趣味にもならない。好奇心の、創造性のある趣味は、よりたくさんのことに対してさらに好奇心を持つきっかけとかアンテナを張るトレーニングになって、仕事やライフスタイルの方法を教えてくれるものだ。

みんなそれぞれ、取り込もうとする意識はあるのかもしれないけど、世の中がシステム化されていて目の前に一応のものが並べられているから、取り込むエネルギーを必要としなくなっている。

俺の趣味は音楽で、聞くことも演奏することも趣味。どちらかというと演奏が楽しい。限りなくプロに近いくらいに、能力は棚に上げて、楽しく豪華に徹している。プロのミュージシャンともセッションをしたり、自分以上の才能を取り込む努力をしている。そこがおもしろいわけ。プロになりたくないのかって?なりたいとは思わない。

自分の人生にとって、いちばんの成功と思っていることはデザイナーになったことだけど、いちばんの失敗もデザイナーになったことだからだ。絵を描くという一番好きなことを仕事にしたことによって、思うとおりにいかなくなってしまう状況が多々ある。本当に好きなことは仕事にしちゃダメなんだ。本当に好きなこと、それこそ趣味にすべきだ。

とっても贅沢なことかもしれないけど、俺はいちばん好きなことを仕事にした人間だから、日々感じる理不尽さを趣味が救ってくれているんだ。だから仕事以外の余暇の時間をなんとかしなけりゃいけないことにもなる。

ところが日常の中に余暇の習慣を持たない、そんな人間がたまに大きな時間を持っても、うまく使えるわけがない。

「MI AGUA」…和紙に木版・アクリル絵具による裏彩色 297mm x 210mm(2008)

管理社会の中で、その仕事場に9時から5時までいるという価値観は未だに変わっていない。8時間いることだけで完結している。フレックスタイムというものが一般的になったが、それは時間というシステムだけ。人間の中身に余裕はない。ちっともフレックスじゃない。

端から何もしてないように見えても、タバコを吸いながら1時間考えることで大きな仕事を完結していることがあるはずだ。何か新しい企画やアイデアが出ることがあるのだ。外から見て手を動かしていることだけが仕事じゃない。

もちろん仕事とプライベートにはメリハリが必要だ。でも、ほんとに好きなことをやっている人にはその区別がつかない。むしろ遊んでいる時間に新しいアイデアが浮かんだりする。人間ってもともとそういう生き物でしょ。真面目な場面でもいかがわしいことを考えたりするわけでしょ。その部分こそフレックスなわけ。

人間はどんなときも自由にものを考える動物。仕事場でもその特性を生かさないテはない。渋谷でデートのついでに東急ハンズで課題のヒントを探す。それこそ創造的なことで、そういう意識を一年中持てるようにしなければいけないんだ。