日本の女の子たちは、かわいそうだ。「自我」はあっても「自己」がない「はかない花」だから

288月 - による mijomijo - 0 - ART WORKS CASHEW ESSAY

 

「SUENO」…人工漆、銀・銅箔、ガラスビーズ他、キャンバス 300x300mm(2008)

「今の女の子たちは、いい意味でも悪い意味でも、目立ってる。たしかに、彼女たちは、行動力がありますよ。でも、ぼくは、そんな彼女たちのことを、手放しには肯定できないですね。

アミューズメントや、ファッションのマーケットは、女の子の動向がカギだといっても、それは消費者として、男社会に取り込まれてるに過ぎない。彼女たちが、この社会でイニシアチブをとっているわけじゃ、全然ないんですからね」

おーくん・あきら氏。

女子大で教員として女性に接し、グラフィック・デザイナーとして、女性の感性を仕事に取り込んできた彼にとって、常に女性は無視できない存在だ。

「オンナの時代なんていわれて久しいけど、ぼくには、彼女たちは、かわいそうな存在にさえ見える。だって、そうでしょう、はっきりいって、今の女の子たちには、自己というものがないんだから」

「自己」がないとは、どういうことだろうか。「自己」なんて、生まれながらに誰にでも育つもの、ではないのだろうか?

「いや、放っておいても育つのは自我だけで、自己は、あくまでも自分の力で、獲得するものなんです。

自己っていうのは、自我と違って、単なる欲望ではないんですよ。他者との関わりの中で、自分らしさを知り、自分を、自己評価できる存在ということなんです。そのためには、人からどう見られるかということ(他己評価)から自分を解放し、ありのままの自分を見る(客観視)ということをしなければならない。そうすることで、初めて自分らしさが発見できるし、自分がこの社会の中でやりたいことも、見つかるんです。

だから自己がないということは、オリジナルの夢がない、ということでもあるんです」

彼自身も、自分の自己の確立には、大いに悩んだひとりだという。女性の自己についての洞察は、その中から生まれてきた。