外国に出ること

178月 - による mijomijo - 0 - ART WORKS ESSAY POSTCARDS

 

バブル経済絶頂期ほど海外留学を騒がなくなったが、それでも日本の学生の海外への憧れは今だ変わらず強い。かつて中米に渡った俺もその一人だったのかもしれない。

俺が海外へ行こうと思ったきっかけは、ひとつには、卒業後の就職が決まってなかったこと。もうひとつには、卒業したらすぐに結婚するつもりだった彼女が「まだ結婚は考えられない」ということで悩んだ結果、気分を変えたい気持ちも正直なところあった。けれども以前から一度は外国に出てみたかったし、その絶好の機会だと思った。

中米を選んだのは、カリブ海で泳いでみたい、コパンの遺跡が見てみたい。それに個人で行ける国ではない。だから海外に行くのなら中米に、という極めて単純な理由だった。

ただし、自分の金で行くのはつまらない。その気持ちだけは絶対だ。そこでホンジュラスの国立美術学校のデザイン科と国立自治大学芸術科でグラフィックデザインを教えるという外務省の仕事を見つけた。初めて訪れた中米は、それまで事細かに聞いていたものとはまったくと言っていいほど違っていた。

デザイナーとしても教師としても自信はあったが、授業の始まる直前はさすがに相当のプレッシャーがあった。ところがいざ授業が始まってみたら、それ以前の問題で相手の言葉がまるでわからない。派遣前に3か月習ったはずのスペイン語が聞き取れない。

いったい俺は何を勉強していたんだろう?これから先、デザインを教えるうえで細かいニュアンスの部分にたどり着けるのだろうか?

ところがそんな言葉の不安は3か月で解消された。3か月目のある日、突然、ほんとに突然、完璧にわかるようになった。逆に言葉がわかるようになってからのほうが細かいところでの葛藤があったが、言葉、語学なんてそんなものなのだ。

学生は16〜17から上は30代中盤まで。その年齢の幅は日本では考えられないくらい広い。俺は23歳。それでも相当遠い国からきた人間ということで学生には一目置かれたし気も使ってくれた。もう翌日には「アキラ」になってしまうような、彼らの陽気で元気なラテンの性格にも助けられた。

夜の町ではピストルを突きつけられて「ホールド・アップ」が2年間に3回もあったが、それよりも困ったのは人々の時間のいい加減さくらいだろうか。

また、実習の授業の最中にラジオを聴いている学生が大勢いるのには頭にきて、自分に付いていてくれた助手に文句を言いに行ったら、その先生もラジオを聴きながら仕事をしていた、なんてこともあった。

そんな中米で2年間を過ごした。

 


現在教えているウチの学生にとっても、俺の体験は憧れなのだろう。しばしば「海外へ留学したいのだけれど」というような渡航に関しての相談を受ける。その際に最初の切り口として、どうして海外へ行きたいのかをまずたずねてみる。

「日本より海外のほうがおもしろそうだから」

「日本ではやりたいことが見つからないから」

このテの理由なら話はそこまで。日本でなにかを見つけられない者が、海外で見つけられるはずがない。日本で使いものにならないようなヤツが海外で通用するわけがない。

自分の足元を見ないで海外にあこがれるのは絶対「ウソ」だ。そりゃ、よっぽど運が良ければなんとかなるかもしれないけど。日本で実績を積み重ねたうえでさらなる飛躍のために海外へ…というのとはまるで違う。

中米から帰国して以来、学生に限らずいろいろな人に渡航の相談をされたが、6〜7割の人は日本に対してネガティブな感情を持っていることには驚かされる。

海外の高校や大学への留学にしても、多くの学生は海外留学をカッコイイと思っているのだろうが、本当にそんなカッコイイことなんだろうか?いったい何を目的にして海外に行くのか?

ただ単純に海外に行くことが今の日本からすれば実に簡単なことは、外から漠然と傍観していてもわかる。

こんな時代にレジャー化された私費留学なんてカッコ悪いと思わないのだろうか。ホームステイにしてもシステム化された中でなあなあのコミュニケーションをされて、たった2週間で何が分かるというのか。

外国に行くことの一番の意味は、日本を客観的に見られるようになることだ。しかし、ものを考えるにはひとつの場所に腰を落ちつける時間がいる。そのためにはせめて半年は必要だ。

そういう意味では俺は最大の贅沢を手に入れることができたと思っている。

たくさんの場所を移動するパッケージツアーを例にとるまでもなく、ひとつのことにじっくり1年費やす時代じゃない。海外旅行に限らず、若い者にそのシステムそのものがない。

しかし、こんな状況は日本にいて日本の大学に行く場合でも同じかもしれない。たとえば「Aという大学へ行きたい」と言っても、それはただ自分の成績で入れる一番偏差値の高い大学の一番偏差値の高い学部を希望しているだけなのではないか。「あの先生に教わりたい」どころか学部も学科もない。選択の基準は偏差値だけ。「じゃあ、お前はいったい何を勉強するの?」と言いたくなる。

目的もなく、意味もなく海外に憧れるよりも、日本で地に足を着けて考えなければいけないことは多いはずだ。