障害者の芸術教育

 

30年以上に渡り、障害者、健常者に参加してもらうワークショップを様々な形で展開して来た。その多くのワークショップは、身体障害者及び知的障害者、あるいは障害者と健常者を共同制作により結びつける形をとったワークショップが中心になって来た。

スレマン氏の描画補助器を試してみる

イタリアの視察で授産施設を訪れた時に紹介していただいたスレマン・アブデラ氏(ダウン症候群患者、L’AIAS絵画指導者)も手で絵画制作を出来ないため、スレマン氏自身が考案した頭に装着する絵画補助機により見事な油彩作品を制作している。

また、私のワークショップでは両手にハンディキャップのある子供が口に筆を加えて、魅力的な水彩画を制作している。知的障害者の中には、驚異的な集中力でカラー粘土による細かいディテールの立体作品を生み出す人もいる。

両者は何らかの形や行動により、我々が認識しやすい障害であるため、指導の要領や、体験を積むことで制作、活動の流れや最終的な落としどころが予想しやすく指導も経験値で解決する部分もある。

現在更に研究、治療、処方が必要とされるのは、鬱病、パーソナリティー障害、双極性障害、アスペルガー症候群など、「気分障害」の範疇で捉えられている障害ではないだろうか。これらの障害は、身体的・知的障害に比べて、病状がかなり見えづらく、その思考や行動、反応等が解りづらく、多くの誤解を一般の人々や社会に与える事になる。

これらの障害の治療期間は精神科、神経外科などで行われてきたが最近は「心療内科」の名称で治療にあたることも多くなってきている。

気分障害は、「心の病気」「メンタルな病」という括り方をされるが、その多くは極めて「フィジカル」な病であり、脳機能、脳内伝達物質が関係していると言われている。その病因は、遺伝的なものや子供の頃のトラウマなど、内因・外因を含めて様々な臨床報告がなされている。

知的障害においては、アウトサイダーアート、アールブリュットの範疇に健常者を含めた作家たちがカテゴライズされている。

「アールブリュット」はフランス人画家ジャン・デュビュッフェによって作られた仏語「Art Brut」で「生(なま)の芸術」という意味である。既存の美術や文化潮流とは無縁の文脈によって制作された芸術作品を示している。

その後、イギリス人著述家ロジャー・カーディナルが「アウトサイダーアート」と英語表現に訳しかえた。

特別芸術の伝統的あるいは規制的な教育・訓練を受けておらず、名声を目指すこともなく、何にもとらわれることなく、作者自身が自然発生的に表現した作品といえよう。加工されていない生(き)の芸術とも言い、伝統や流行、正規の教育などに左右されず、自身の内側から湧き上がる衝動のままに表現した作品には多くの人が魅了されている。

これは、桑沢デザイン研究所での基礎造形教育の幾つかの課題に見ることができる。執筆者の興味ある研究対象として「純粋行為」があるが、本来ファインアートは、デザインと異なり、内なる発動に揺り動かされて表現となっていくと考えられる。

「芸術はわれわれが用意した寝床に身を横たえに来たりはしない。芸術はその名を口にしたとたん逃げ去ってしまうもので、匿名であることを好む。芸術の最良の瞬間は、その名を忘れたときである」このジャン・デュビュッフェの言葉が、アールブリュットの定義ととらえられる。本来デザインも最終的には匿名性が商品を際立たせる筈であるが、今の多くのデザインが詭弁にデザイナー本人を語ることも多い。

アールブリュットの制作者たちは様々な社会的な操作や適応システムから自由であるということは、いわゆる精神病院と呼ばれる病院の患者、孤独に生きる者、社会不適応者、受刑者等多様な「アウトサイダー」たちといえる。

これらの人々は、作品の発表を考えず、あるいは度外視して、孤独の中、独学で創作活動を続ける。世の中の様々な美術様式や歴史、アートを通しての社会的人間関係に無知あるいは無関心であることが、逆に解放された創造性をつくり出し、究極を感ずる作品を生み出す要因になっているのではないだろうか。

ジャン・デュビュッフェは「アールブリュット」の提唱者だけでなく、アールブリュットコレクターの草分けでもある。1971年には彼のコレクション3000点以上をローザンヌ市に寄贈し、1979年に初のアールブリュット専門の収蔵館が創設された。

現在収蔵作品は35,000点以上にのぼり世界中から年間45,000人の観覧者が訪れている。それほどアウトサイダーアートには引きつけられる魅力がある。ただ、アウトサイダーアーティストのカテゴリーに括る範囲は難しく。正規の美術教育を受けていたり、社会生活の中に普通に組み込まれているいわゆる「インサイダー」の人々の中にも作品としてアールブリュットを感じるものも多い。

前述の身体的・知的障害を持つ人々に対しては社会の中に授産施設、養護施設、障害者支援等公私含めて多様な受け入れ体制が出来つつあり(それでもまだまだ不足している)創作やそれによる自立支援も充分とは言えないが続けられている。

しかし、社会の中で一見健常者にしか見えず、健常者として扱われ、本人の身の置き場を失っている気分障害等を持つものも多い。そして、そういう人々の中に多くの美術、音楽、文学、発明発見等を残した人々がかなりの割合で存在している。鬱病、パニック障害、パーソナル障害等何らかの精神疾患といわれるいわゆる気分障害であったろうと言われる人物は、ごく一部をとりあげると

カート・コバーン(米・ミュージシャン)/ウインストン・チャーチル(英・政治家)/エブラハム・リンカーン(米・大統領)/チャイコフスキー(露・作曲家)/シューマン(独・作曲家)/宮沢賢治(童話作家)/三島由紀夫(小説家)/夏目漱石(小説家)/北杜夫(作家)/中島らも(作家)/萩原流行(俳優)/高島忠夫(俳優)/足利尊氏(武将)/太宰治(小説家)/小川広(アナウンサー)/桂枝雀(落語家)/岡田有希子(タレント)/フランシス・コッポラ(米・映画監督)/ティム・バートン(米・映画監督)/メル・ギブソン(米・俳優)/ロビン・ウイリアムス(米・俳優)/ジム・キャリー(米・俳優)等

もちろん、古い時代で精神医学の研究が充分でない時代の人物についてはこれらの人々の生活歴や証言等を含んだ病跡学(パトグラフィー)的な観点から提示したものであるが、これ以上の潜在人数が多数いることになる。

これらの人々は良い形で社会から逸脱した部分を持ちながら才能を開く結果となったが。多くの気分障害者は、社会の中にいるのに、逆に通常の生活と共に才能も埋没していってしまうことが多い。しかし前述した通り、これらの人々の中に健常者には見られない驚異的な集中力や持続力でなにものかを生み出す状況があることを見逃す訳にはいかない。