イタリアのデザイン教育機関及び授産施設等の視察報告①

89月 - による Author - 0 - WORKSHOP

 

この報告は2005年に障害者教育研究の観点から、桑沢デザイン研究所との交流も深いドムスアカデミー等の教育機関を訪ねることで、本人の現在までのワークショップを見直す機会とした。

 

ミラノ工科大学 工房入り口

現在まで、幾つかの企画展示や取材、デザイナー同志の親睦等でイタリアを訪問する機会は何度かあり、この国には充分に親しみを持っていた。今回機会を頂き、教育の面からイタリアを知る事となった。長年にわたり有数のデザインを生み出してきたこの国のデザイナーあるいはデザイン教育を垣間見る事ができた。もともとデザイン学校という形式で近年までなかったこの国が多くの著名なデザイナーを育てた事、そして美術学校での教育を充分に生かしてデザイン活動を続けてきた多くの作家たちの様子を伺う度に、アートとデザインの境界線は何なのか、デザイン教育とは何なのか、そしてデザイン学校は必要なのかという思いを巡らすことになった。

デザインに風土や民族性がどのように関与するかは深く知らないが、同じラテンの国でもメキシコやスペインと違い、イタリアのラテン性やそれに絡む歴史が見事にイタリアデザインを包括していったのではないだろうか。

今回、高等デザイン教育機関であるドムスアカデミー、及びポリテクニコ・ミラノ(ミラノ工科大学デザイン学部)の訪問を中心に、ミラノで活躍する日本人デザイナーのスタジオ、ダウン症候群患者教育施設等の訪問も実現した。

どの場を訪問しても感じた事は、繊細で華やかなデザイン商品を供給する場が意外とそっけなく、きつくなく伸び伸びとしており、しかしある種の工夫により醸し出された空間センスを持っている事だった。歴史ある、しかし古びた石造りの建物の内部を気取らず、気持ち良く、目的に合わせた「場」としての空間に変えている事に安心感と居心地の良さを覚えた。この事はデザインに限らず、またイタリアに限らず、ヨーロッパ各地を訪ねても感じる事だが、古くからあるもの、それに手を加える加減というものがほど良いのである。この感覚は日本には少なく、また日本に一番求められているものなのかもしれない。

様々な方法と場でワークショップを続けて来て、ふと思うことは、吉田松陰が開いた松下村塾や多くの寺子屋も、ワークショップ的な運用の中で試行錯誤されてきたのだろうということである。もちろん、ワークショップの形は様々ではあるが。学ぶ者たちと指導する者の関係位置や両者のインターフェースの持ち方、ワークショップ内に流れるコミュニケーションの空気に共通するものを感じてならない。

今日本の様々な基本教育がぎくしゃくとうまくいかなくなっている。それらの問題に対してワークショップが決定的な解決策になるとは思えないが、教える者と学ぶ者の関係性を見直し、新しい切り口で学ぶ場を構築していく時に、必ずモチベーションとなる方法ではないだろうか。