一〇〇円ライター

318月 - による mijomijo - 0 - ART WORKS COPY-ART ESSAY

 

スタジオ・ボイス掲載作品「MANO」1989年

一九七九年十月十九日、いよいよ日本を離れることとなった。涼風の中での旅立ちを考えていただけに、日本では久しぶりに大きいといわれるそんな台風と一緒に出発するとはびっくりした。見送りの仲間達は皆が口を揃えて「おまえらしい」と言った。チェックイン寸前の友人の涙に溢れた顔は私の胸をつまらせた。

今、二年の別れをもった時、初めて邂逅(かいこう)の素晴らしさを知った。新東京国際空港はまだ出来て日が浅かったので、なかなか厳しい警戒ぶりで、見送りも箱崎のエアーターミナルまでしか入れなかった。オフクロは泣きながらしきりにそれを残念がっていた。出来ればおまえの飛行機が飛行機が飛び立つところまで見届けたいと言った。税関を通って、あっさりエスカレーターの所で別れた時はことさらの感慨というものもなく、二年の別れという実感も起こらなかった。無性に涙が流れ出したのは、成田へ向かうリムジンバスに乗って三十分程してからだった。何が悲しいというのでもなく、ただただ、日本から二年間自分がいなくなってしまうという妙な気分に対するセンチメンタルだった。隣の同僚にはどう隠したって隠せない量の涙だったから、私は居直って高速の道筋を追いながら涙の流るるに任せた。私は飛行機が大キライで、というより高い所が嫌いなもので、この時が初めてのフライトだった。

それに私は出不精なもので旅行というものをほとんどしたことがなく、外国へ行くのもこれが初めてという状態だった。だから今回の出来事はおよそ私らしくなく、また私の苦手な条件がすべて網羅されているという訳で、私の奇行以外に他ならないと噂されていることは確かだった。しかしいくら気紛れな私にも、今回の旅立ちに密かな目的があった。それは二つあった。

一つは、カリブ海で泳ぎたい。

もう一つは、コパンの遺跡を見たい。

この二つの目的を達成するためには、二年間費やしてもいいと感じた。

こうして私は一番嫌いな飛行機に乗り、日本から一番遠い国へ出発した。

 

1990年個展出品作品「LLAVE」

ラテン・アメリカまでダイレクトに飛行機では行けないので、カナダで二時間のトランジットをもったあと、メキシコで一泊しなければならない。問題はメキシコの税関だ。日本でそう聞かされていた。通関がうまくいかなかったら、百円ライターを一、二個渡せといわれていたのでしこたま持って来ていた。案の定、税関のメヒカーノに長く引き止められることになる。私はデザインの仕事だったので、普通の人が見たことのない少し変わった道具も多く、何にでも興味をもち首を突っこみたがる彼らにとっては、いい遊び相手だったろう。

「これは何につかうんだ」

「曲線を引くときにつかうんだ」

「この中には何か入っているのか」

「製図用具だ」

まだ慣れないスペイン語で対応が続く。

「結婚はしてないのか」

「していない」

「日本の酒はうまいらしいな」

「タバコ持ってるか…」。

タバコを一箱とられた。この時とばかりポケットから百円ライターを二個出してメヒカーノに差し出してみたが、彼は受けとろうとせず、そのまま通関させてくれた。被害は百円ライターのかわりにタバコ一箱だった。妙な気分ではあったがとにかく無事通れることは通れたのだから、その時のことはもうそれで忘れてしまっていた。

その後、滞在中の二年間、何度かグァテマラやエル・サルバドル等へ旅行する機会を得られたが、その度に通関のことを考えて百円ライターをポケットにつっこんでいった。しかし、どの通関の時でも百円ライターの売れ行きはよくなかった。くれるものは何でももらうような国民性と思っていたので、意外だったし、あげる必要はないのだろうが、関係をスムーズにするためにと慈善に用意したものが無駄になったのには少しがっかりした。二十個程持っていった百円ライターは十五個も余ってしまった。

もちろん中米にも百円ライターは至る所で売っているし、多くの人がタバコを吸うのだからライターの需要も充分ある。でも彼らは欲しがらなかったし、もらってくれても、あまり嬉しそうな顔もしなかった。

 

トナー式カラー複写機作品「MUCHACHA EN LATINO AMERICA」1980年

「中米の税関なんて百円ライターの二個も渡せばパスだよ」

中米の知識を持つ人は出発前の私にこう教え、私もそう考えた。それは百円ライター二個やれば何でもやつらを誤魔化すことは出来るのだといってるのに他ならなかった。何かいいかげんな物でも与えておけば、こちらの都合が通ると我々日本人が言っているようなものだ。先進国の驕りであり、中・後進国と呼ばれている国々への認識不足以外のなにものでもなかった。

残念にも二年間滞在し、帰国してやっとこのことに気がついた。せめて滞在中に気づきたかった。

私はグァテマラに一ヵ月ホームステイしたことがあった。日本人はとにかく器用で、むこうの人は不器用だから、手先の器用なところをみせるには折り紙が一番だと言われ、日本ではツルも折れなかったクセして、手習書を見ながら幾つか覚え、自信満々になって滞在先の子供らに披露した。子供らは嬉んでくれたが、少しすると席をはずして彼らの部屋から大きな箱を持ってきた。蓋を開けるときれいに折られたツルやらヤッコやらがいっぱい入っていた。彼らはすまして私の作ったツルを箱に入れ、蓋を閉めて部屋へ持っていってしまった。以前に滞在した日本人も一生懸命彼らに折り紙を教えたのだろう。この時私は、思わず赤くなってしまった。

日本人旅行者は、中南米の税関を通る時に誰もが馬鹿の一つ覚えで百円ライターを差し出したに違いない。最初は受け取っていた彼らも、何かというと百円ライターを出す日本人にうんざりしていただろうし、自分らを侮辱しているとさえ感じていたのかも知れない。物を欲しがる筈の彼らは、そういう日本人を冷静にみつめ、プライドをもって自分の態度を通した訳である。同じように私も中央アメリカの至る所で百円ライターをちらつかせた。火が出る程顔が熱くなってくる。

百円ライターがこんなにヒンシュクをかっている。