豊かな日本では、女の子の自己が育ちにくい

288月 - による Author - 0 - ART WORKS CASHEW ESSAY

 

「NOVIA」…人工漆、金・銀箔、ガラスビーズ他、キャンバス 300x300mm(2008)

中米、ホンジュラスに外務省の派遣で、滞在したのは23歳のときだ。

夜の8時だというのに、すっかり人気のなくなった繁華街を、ひとりで歩いていると、突然、ビルの陰から男が飛び出してきて、その男が手に持っているピストルが、暗闇にキラッと光った。『ホールド・アップ!』

「あのときは、ああ、おれはここで死んじゃうのかなって思いましたよ。震えながら、手を上げてじっとしてたけど、漏らしちゃってたかもしれない」

2年間の滞在で経験した中米の空気は、その後の彼の人生に、少なからず影響を与えた。

「中米行きは、成り行きだったんです。カリブ海の砂浜で、のんびりしたいなって、ただそれだけでした。

大学を出たとき、ちょうど外務省の関係機関で、中米の大学で美術を教える人材を募集してて、それに飛びついたんです。

でも、向こうに行ってみて、日本との、日常の緊張感の違いに驚かされた。向こうは生活そのものが、生命の危険の中にある。それでも、みんなリスクを承知で、その中で創意工夫して、楽しんで生活してるんです」

そして、帰国したのが今から20年以上前。25歳のときだった。

「日本に帰ってきたときは、もう浦島太郎ですよ。それぐらい、落差を感じた。バブル前夜っていうのかなあ。日本の空気は弛緩しきってて、大袈裟にいうと、みんな生きてるの?って感じでした。

ちょうど、マニュアル文化のハシリのころで、ファッションにしても恋愛にしても、みんな、メディアの作ったマニュアルに踊らされてる。誰も自分の生活にリスクを背負おうとしないから、個人の創意工夫が感じられないし、なんでも金で解決しようとする。

そんな日本の空気に自分を合わせるのがイヤで、おれはおれのやり方で、やりたいことだけやっていこう、と腹をくくったんです」