東京はすてたものじゃない(大学教員時代の忙しい日々13)

258月 - による Author - 0 - ART WORKS DRAWING ESSAY

 

●11月27日 企業で講演

富士通で講演をした。聴講者は同社の総合デザイン研究所のインダストリアル・デザイナーたち。教育者や一般の人たちを相手にすることは多いが、いわゆるプロのデザイナーを相手にデザインの話をしなければいけない。相当身構えて2時間の講演に臨んだ。

ただ、話の内容のスタイルとか流れは、プロだからといって一切変えなかった。企みはしないで、いつも通り、一般の人にも分かりやすく、デザインとは、発想というものはどういうものかを思い切って話した。予想以上に好評だった。

一つには、今、多くの商品の開発やデザインが行き詰まっていて、何かを求めている状況がある。その一番根幹であり、スタートである話をあらためて聞いたことが新鮮だったようだ。もう一つには、ひとりのプロより沢山の素人にわかる内容こそにクリエイティブのヒントが隠されているということ。その実感を彼らも持ったのだと思うし、僕自身も持った。

 

●11月30日 物の値段って?

資生堂美容学校の講義の後に、駒込にある工場直売の洋服の店に行った。今流行りのアウトレットなんてかっこいいものじゃなくてバッタ屋みたいな店で、スーツ3,000円、ブレザー900円、パンツ400円、コート2,000円といった調子。1万円もあれば上から下まで買える。価格破壊と言われて久しいけど、15年前からこの店に来ている。

ここのほとんどの商品がブランドのタグをはがした物で、織り傷や汚れのある、いわゆるB救品だ。人件費とディスプレイと宣伝の費用をかけたおしゃれな店に同じ物を買いに行くばかばかしさ。これは洋服に限らず言えること。

昔の商品っていうのは職人の手間ひまの度合いで値段が決まっていた。企みなしのピュアで明瞭な関係があった。流通形態が複雑になってきて、売らんがために仕掛けをするさまざまな媒体が介在する世の中で、本当に安い物、本来の値段で、良くて安い商品を探して買うことは、この上ない快感である。

 

●12月4日 どこの大学も同じか

東京駅大丸の蕎麦屋で、山本コウタロー氏に偶然再会した。昨年、イベントでご一緒して以来だった。山本氏はある大学で教員をしているので、お互いに学生のようすを話した。とにかくリアクションがない、表情が乏しい。これでは教える気力が半減してしまう、とのこと。まったく同感だ。

僕らの学生の頃は、センスが悪くともオーバーアクションをすることが、いわゆる学生の特権だった。センスが悪いことを避けて通ることは、センスが良くなるということでは、けしてない。人間が洗練されていくためには、いい悪いは別にして、さまざまな仕草、物腰を吸収していくことである。何もしないということはセンスも悪くはならないだろうけど、良くもならない。

 

●12月10日 日本式仕事のやり方

仕事の打ち合わせで企画会社のディレクターと会った。2月にある大きなイベントの司会とコンテスト審査員の仕事を依頼されていて、今日、その返事をすることになっていた。手渡されたチラシを見て驚いた。すでに出演者として載っているではないか。腹立たしさと同時に日本で行われている企画のあわただしさにあきれかえってしまった。

 

●同日午後 海外の特集の取材

取材を受けて、ひさびさに中米の頃のことを思い出した。また、海外に憧れる若い連中がいかに多いことか、あらためて実感した。

ただし、物を作る人間は、場所に触発されて作るのではなく作りたいから作る。何かに触れることが大前提の人間に物は作れない。ソーホーであろうと日本の下町のアパートであろうと、自分の内側から沸々と沸き上がるものに理屈はない。物を作る人間の大前提はそこにある。これは実はアート以外のジャンルでも同じではないか。

そして、日本に住んでいる人間が考える以上に東京はインターナショナルだ。東京はすてたものじゃない。