夢を追って挫折して、傷ついたって死にはしないよ

298月 - による mijomijo - 0 - ESSAY

 

工業用プラスチック粘土による立体(ウインドウディスプレイとして使用(1993))、文化振興財団個展出品(スペイン、1995)

学者と美術はずっと夢でした。小学校の一、二年のときは絵描きになりたいといって、家の床の間を自分のアトリエに見立てて、角材でイーゼルらしきものを作って、画家気取りだったそうです。その思いは、紆余曲折あったけど、高校まで続いていたんですが、同時に学者にも憧れた。自分の興味のあることを研究して追求していく姿に、漠然とですけどダンディズム、男の世界を感じたんですね。逆に子供の世界も感じます。自分の好きなことに、純粋に打ち込む学者の世界っていいなと。

大学四年のとき、いろんな挫折を味わった。高校の教員採用試験に落ちたり、失恋したり。もうどうにでもなれというとき、外務省関係機関が中米の大学で美術を教える人間を募集していたんです。小さなことでいろいろ挫折感味わってて、なんかこうクリアなところに行きたい、カリブ海で泳ぎたいとか(笑)、そんな思いから中米もいいなと。でもどうせ受からないだろうと試験を受けたら、なぜか通っちゃって(笑)、中米のホンジュラスへ。向こうの国立美術学校と国立自治大学の芸術科で、二年と一カ月、デザインと美術を教えてました。

帰ってきて、ぼちぼちフリーでデザイナーやってたんですが、そうこうしているうちに、昔の夢だった教育者とか学者が頭をもたげてきたんです。でも大学の、ましてや首都圏の大学の先生なんてそう簡単になれるものではありません。現に、大学院出てもその職につけないでいる人たちもかなりいますからね。僕は大学院も出てないし、国内では教育経験もない、コネクションもない。開かれる道は何もないわけ。で、僕は考えました。仕事の営業と同じで、ひょっとして六、七〇ある美術系の大学に全部あたったら一つぐらい間違って入れるんじゃないかと。そして大学に営業したんです。電話しまくりました。中米で美術教育にかかわっていたものだけど、日本で新しい美術教育をしたいと自分を売り込んだんです。相手にむげにされて傷ついたこともあったけど、いくつか話があってトントン拍子に決まってしまった。そんな電話するなんて、普通は考えられないと後でいわれましたけどね(笑)。

でもそこなんです。夢をかなえるってこういうことだと思うんです。要するに、僕はだめでもともとという覚悟をもちながら、矛盾するようだけど一方で絶対に自分は大学の先生になるというイメージを抱いていた。だから相手にむげにされて傷ついたこともあったけど、電話し続けられたんですね。恐れないで働きかけることができた。

考え、恐れず、動くこと。このことが大事なんじゃないか。動けば必ずいいか悪いか結果が出ます。考えただけで何もやらなかったらやれたかどうかもわからないで、やれなかったという結果しか残らないわけでしょう。

 

工業用プラスチック粘土による立体(ウインドウディスプレイとして使用(1993))、文化振興財団個展出品(スペイン、1995)

僕は、もし両親なり身近なところに有名なデザイナーや絵描きがいたら、その七光りを存分に使います。そういう意味では僕の道のりは遠回りだったかもしれない。でも近道はなかったわけで、そうやって自分で直接働きかけるしか方法がなかったんです。その結果、デザイナーや教員になりたいという夢に到達することができました。だけどだからこそ、ここまできた満足感というものは、ポンと七光りを使った人よりは自分の中に根づいてると思います。

それが僕を次にいかせるんですよね。僕は決して、今に不満があるわけでもないけど、自分自身もっと大きくなりたいから、自分の現状に疑問をもってしまう。おーくん、これでいいのか、このまま終わっちゃうよと。そしてまた新たな夢が。やればできることわかっちゃったから、また次の夢もいけるだろうと動き出す。この繰り返しです。今もときどき営業に回ってますよ、昔と同じように。年とった分、むげにされたら若かったころより深く傷つくし、つらいです。でも一生、こうなんでしょうね。夢をもつことをやめないんでしょうね。

 

大学の教員になって、25年以上たちました。学生に接してきて感じるのは、これは大人も一緒でしょうが、今は夢をもちにくい時代だなということ。僕の若いころなんて、今みたいに物が簡単に手に入るわけじゃなかったから欲しいものを得るためには自分で考えなければならなかったでしょ。でも今は考える必要がないもん。邪魔なくらい、なんでも手に入る。

夢をもつ条件って、欲しいものがあり、身のまわりが不便であることじゃないですか。なんでもあって、不便を感じないということは、見える範囲で試行錯誤が終わりますよね。不便を感じて初めて、どうしようと問題意識をもつわけ。これが夢へのステップになる。現代の情報量の多さや豊かな環境が、感受性を麻痺させてるんじゃないかな。僕が見た限りでは、以前に比べると学生は喜怒哀楽が希薄ですね。それがいいか悪いかということは一概にはいえないけど、そういう今の学生たちが夢をもちにくいのは事実でしょうね。だからこそ、夢を苦労して手に入れた実感、目標に到達した満足感を得るのは、貴重だと思う。

それからこれは年齢がいった人には酷かもしれないけど、夢をもち、そのために動くのは若いうちのほうがいい。何もないから。背負うものが少ないうちですね。夢を追いかけて挫折して傷つくのが、年をとるとだんだんこわくなる。でも今は若い連中ですら傷つくのをこわがってる。この僕だってやってるんだよ、君たちなんでいかないのといいたいです。傷つくのがこわいといっても痛くもないし、血も出ない(笑)。死にはしませんから大丈夫です。