ラジオは時計以上の時計

19月 - による mijomijo - 0 - ART WORKS ESSAY GRAPHIC POSTCARDS

 

時計に関わる苦い経験なら、幾らでもあるが、もうひとつだけ紹介したい。

時計同様に彼らのステータスシンボルのひとつにラジオがある。テレビ放送はコロンビア等からの輸入番組を含めて三チャンネル程度だが、ラジオのチャンネル数は大変多い。正確に数えた事はないが、マイナー、メジャー番組、FM、AM等あわせても二十本は下らないと思う。ラジオ局は「ラジオ・サテリテ」とか「ラジオ・レロッフォ」とかのオリジナルネームをつけて、番組の中で各パーソナリティが、独自の言いまわしで、それを連呼し宣伝するのだが、これがスペイン語独特のムードやユーモアをもっていておもしろい。

このラジオ局のオリジナルネームと一緒に、多い所だと二〜三分に一度の割合で、パーソナリティの個性的な言い方でもって時刻を知らせるのである。最初はその言い方にあまりにもクセがあった為にその時刻が聞き取れなかったが、慣れてくると、彼らのしゃべりの間にタイミングよく時間を知らせている事には驚いた。そして、これがなかなか便利で、部屋に居る時、ラジオをかけっぱなしにしていればいちいち時計を見なくても、スッとその時の時刻が耳に入ってくるようになるのである。

よく考えてみれば、このラジオが彼らにとっては時計以上の時計だった訳である。ちゃんと動く時計であれば安くても数千円はするが、メーカー品でない安いラジオなら千円くらいでも手に入るのである。音楽やニュースが楽しめて、数分刻みで時間がわかるのなら、時間しかわからない時計よりラジオを買った方が得に決まっている。ところがパーソナリティは自分の腕時計を見ながら時刻を知らせるから、局によって数分ずつ時間がズレていることなどザラである。しかし、それで済んでしまうのだ。それにこの国なら、数分刻みで時間が解る必要もない筈だ。一時間に二度程時刻を知らせれば充分の筈である。

 

街を歩いていると確かにラジオカセットを持っていたり、小型ラジオを耳にあてて歩いている人間が多いのに気づく。因みにラジオカセットはやはり日本と同じで流行りのようで、あんな重いのを持ち歩かなくてもと思うような大きいステレオカセットを抱えて何処へでも行く。最近は、日本で流行した小型イヤホーンステレオも普及しているが、高くてまだまだ手が出ないようだ。

一度、私の実習授業中にラジオを流しながら、版画を作っていた学生がいて、叱ったことがあった。しかし彼は、仕事をしながらラジオを聞くのがなぜいけないのかと、逆に私に詰め寄って来た。このことを同僚の教官に相談しようと思っていたが、彼も製図台の左端に何時でもラジオを置いてイラストを描いていたので、この事は諦めてしまった。

ラジオが彼らの生活の一部として完全に彼らに溶け込んでいる。ラジオからはアメリカやスペインの流行曲を中心に大変のりの良いサウンドが四六時中流れている。これなら彼らのリズム感が良くならない訳がない。しかし彼らは、こののりのいい音楽と一緒に、パーソナリティのリズミックな会話も、そしてもちろん時刻のお知らせも聞いてしまうから、その時、何時なのかは聞いてないのかも知れない。時計もファッションならラジオもファッション。

このことで私は、彼らがいかに見かけを気にするか、良くいえばオシャレで悪くいえば見栄っぱりであるかということを知った。見かけ倒しなどとは言わない。もちろん中身も充分詰まっていて、約束もしっかり守ってくれる何人かとも逢うことが出来たのだから。

こんな訳で私はこの国を、時計のない国だと決めつけてしまったのだが。