デザインのエレメントと素材③

49月 - による mijomijo - 0 - ART WORKS PRODUCT

 

紙材(和紙によるエンボス版画を文字盤にした時計)

我々の周りの物には、使い捨てる物と使い込む物がある。この事はもちろんその物の機能的寿命と関係してくるが、我々が使っていて一番気になる事は「飽きる」か「飽きない」かである。どんなに長く使える物でも、使い飽きてしまう事で、その物との関係が終ってしまう事が多い。これはそのデザインに起因するところが多いとも考えられるが、使い心地の点から考えてみても、デザインの最大要素であり、本質ともいえる素材の要因を外すことはできない。

それでは「使い込むデザイン」と「使い捨てるデザイン」の素材にはどの様な違いが考えられるだろうか。

 

自然素材

昔から多くの道具には、木、竹、鉄、鉛、麻、綿等自然素材あるいはそれに近い加工素材が使われてきた。これはその素材自身が使い込まれる頻度と時間経過により、削れたり、艶が出たり、黒ずんだりという様々な変化を続け、使い手に馴染む事が自然だった。これはその素材が、なかなか変化はしても壊れにくいという大前提に守られている事が大切である。つまり自然素材には、必然的にそういう因子が含まれていると言っても良いだろう。

 

自然加工素材

単純な加工のみを施した自然素材。例えば鉄、鉛などの金属類や綿、麻、シルク等の布類、和紙等が考えられる。これらの素材にみられる特徴は、使用頻度によるテクスチュアの変化もあるが、興味深いのは、日常における化学変化がもたらす表情である。鉄の錆、銅に出る緑青、麻や和紙の黄ばみ(酸化)等が、使い込みの表情と重なりながら新しいディテールを創造する事になる。

ここで素材変化(テクスチュアの変化)について面白い矛盾が発生する事になる。日常の化学変化と、使い込みによる表情の変化が相互作用をもたらすのとは別に、どちらかが優先する事による表情が顕著になる。

鉄材のデザインを手で握り使っていくうちに、鉄材の柔らかく滑らかな肌合いが、その深い色合いと共に定着してくる。従って錆としての表情は見せない。ところがこのデザインを一定期間、ある条件の中に放置しておく事で今度は見事な錆の表情が生まれる。使い込む事によるデザイン素材の美しさばかりが掲示されるが、「放置」という無作業の作業が美しいディテールを作る事も多い。

海辺の家の鉄錆のフェンスが不思議な美しさを見せたり、京都の日本家屋の苔が絶妙の趣を出すことも好例と言えよう。

この様に、素材は地球上の様々な物理的及び化学的環境の中で可能な限りの変化を遂げ、落ち着く事になる。

 

完全加工素材

プラスチック、ビニール、化学繊維等、十分な化学的加工工程を踏まえた素材をこう定義しておくが、これらの素材は自然加工素材と異なり、使い込んだ変化や「放置」による自然変化を受けた美しさも伴わないと考えられてきた。例えば、ポリバケツが美しく汚れ、美しく風化していくとは考えにくいかも知れない。ところが、一概にそうとも言えない事に気付く。これは「傷」と「色」との両面から観察する事ができる。徹底的に使い込む事で同じ位置にできた傷は、プラスチックやビニールと言えども、美しく変化する。

又プラスチックや化学繊維に使われた染料が、太陽光等により褪色する様は時に美しい色合いを示すことになる。50年代に生産されたプラスチック商品で現在までに使われている内容には、微妙に色褪せ、形を持ち崩しつつある造形に独特の素材感を見ることになる。

プラスチックを例にして、もう少し説明すると、基本的にプラスチックそのものは生分解性ではないが、摩擦による半分解を遂げるのではないだろうか。この事は例えば海辺に散らばる、何かの部分であろう丸く削れ、色の落ちたようなプラスチック破片から感じる事ができる。

完全加工素材に近い建築素材としては、コンクリートが挙げられるが、これも使われた地域により長い歳月で表情が変わってくる。コンクリートは特に水(雨)の影響を受け、自然に受け入れられる表情を見せる事があり、素材として大変興味深い。

この様に考えていくと、自然化学的変化にごく好意的に対応し、変化し表情をつけていく自然及び自然加工素材はもとより、純然たる完全加工素材についても、その年月、環境等の重なり方により創造以上のディテールを発揮する事が分かる。