「生きること」は「死んでいくこと」

208月 - による mijomijo - 0 - ART WORKS DRAWING ESSAY

 

「MUCHACHA」…阪神淡路大震災慈善美術展企画 “おーくん・あきら展”(銀座ギャラリーミハラヤ)に出品(1995)

ボクの学生だった子が白血病で亡くなった。この子は絵画の卒業生で、直接教えてないけどボクを慕ってくれ、面倒を見ていた。僕が個展をやっていた画廊に紹介して勤めていたが、しばらくして入院。亡くなってしまった。まだ二十だった。

彼女が亡くなった際、「若くして亡くなって残念残念」という声ばかり聞こえてきたときに、ふと考え始めた。人間が生きることの意味って何だろう、スケールってどれくらいのものなのだろう?

身近な人間の早すぎる死を機に、ここしばらくは、自分は今までこれで良かったのか、彼女のこととオーバーラップして、考えるようになった。

人間の死は大宇宙の規模で言えばひじょうに些細なことだ。大干ばつが起きたとか、大地震に見舞われたとか、ときに環境問題だって地球にとっては蚊に刺されたのをもとにもどすのに時間もお金もいらない。ほっとけば直る。人間さえいなくなれば簡単にもどる。

宇宙飛行士が地球を外から見て、世界観が変わったと言う。大宇宙を知ったようなことを言っているけど、同じような銀河系は無数にある。宇宙全体から見れば地球からほんの少し飛び出しただけ。しょせん人間の科学なんてそんな程度。超越した壮大な規模の宇宙を、確かなビジュアルとして頭に描くことは不可能なことだ。科学的な立場で言っているのではないが、地球も宇宙もそれくらいのスケールがあって、要するに人間ってそれくらい些細なものだということだ。

そのことを忘れると人間、横柄になる。

自分がどう生きていったらいいかが、もしかしたら、見え隠れしはじめたのかもしれない。人間って、悩むときは人間の水平線上の視点でものを見ているが、大宇宙をバックに、人間の、点としての自分を見つめたときに解決法があるような気がする。

何人の人に会おうと、世界中回っていようが、なんて自分は視野が狭いんだと認識している人こそ視野が広い。限りない認識不足を認識していくことが経験だと思う。どんなに多くの経験と年齢を重ねていっても、視野の狭さを確認していくことが人生なんだ。

そう考えたとき、18歳で死ぬのも80歳で死ぬのも、たいした差はないのではないか?

キミたちの年齢は、将来の自分を考え、さらには生まれたことの意味を考える時期だろう。ところが今のキミたちの年頃を見ていて、先が見えているコースを選んでいるような気がしてならない。同時に損得で人生を考えているように思えてならない。ポジティブじゃない。中途半端で、はっきり言って年寄り臭い。

金銭的にも物質的にも大きな損もなく、安全に一生を終えること、それが素敵な人生かどうか?何か損をすることが、たとえば遠回りしたり、それが人生にとってマイナスなのか?人間が生きていく過程の中で、損って何なのか?悲しみをなくすことなのか?では反対に、得って何なのか?

90歳を生きることは一般的には得かもしれない。しかし得をすることと充実感は別物、イコールでないはずだ。彼女へのはなむけで言うなら、20年しか生きられなかったのは年数では得ではなかったけど、彼女は充実した人生だったはずだ。

ただ何となく80年の時間という得を得ることと、年数という得はないけど充実した20年と、キミならどっちを選ぶ?

今の時代、自分の人生に目的を持てというのは難しいかもしれない。何がやりたいのかわからない。どこへ行きたいというのはあっても、何をしたいというのは皆無に等しい。

社会にはやりたそうなことが、きらびやかにぶら下がっている。ところが、やりたいことや仕事を選ぶのに、まだ選択肢が少なかった昔には、それほど迷わなかった。その選択肢が細分化されたがために、たったひとつをピックアップする、情報の選択力が麻痺してしまっている。しかし誰もが自分の人生に目的を見つけたいとは思っているはずだ。

じゃあどうすればいいか。すごく簡単。少しの間、テレビを見ない、ラジオを聞かない、新聞を読まないこと。100%は無理かもしれないが、できるかぎり情報に目をつぶる。そうすれば外からではなく、自分の中から何かが見えてくる。外からの情報という雑音に惑わされていると、自分が欲しているものが何なのかわからなくなる。

今という時代はそれを外からピックアップできる状況じゃないんだ。だから、自分の奥深い内なるものを見つめ、潜在能力を引っぱり出す、そういう時代に入っているのだ。

実はボクは50という年齢になった後、ひどく迷っている。前に後戻りすることもできないし、先に対しても慎重にならなければいけない。「40にして迷わず」は寿命が50年の時代のこと。彼女の死は、自分を見つめ直す大きなきっかけになった。

世の中は、そんな自問自答をしにくい時代になっている。だからこそ自分の内側に対する試行錯誤をしなければいけないと思う。それは思想でも哲学でも、ましてや宗教でもない。

充実感を得るために、内側にある空白を埋めていく作業。それは損得じゃない。そのためには、繰り返し言っているように、人に見せるところじゃないところでの、創意工夫しかない。自分の職業で言えば、自分の内なるものをデザインしていく作業。創意工夫で自分の体に詰めていくこと、これしかない。